平成20年度 第3回ロビー展 「東京府の開庁 ~町奉行所・市政裁判所・東京府~」

*東京文化財ウィーク2008(東京都教育委員会主催)参加企画事業*

最初の東京府庁舎東京府庁舎写真(建築学会図書館蔵)

東京都は、昭和18年(1943)7月に東京府と東京市を併せて発足しました。そのため、東京都公文書館には、3万冊以上の東京府・市の公文書が引き継がれています。
 これらの公文書群は、近代における首都東京の形成過程や基本政策を知ることのできる重要資料として、平成16年3月に東京都の有形文化財に一括指定されました。
 本展示ではそれらの中から、東京府庁の開設に関する資料を選び、明治初年の「役所」の様子をご紹介します。

1 町奉行所の位置

御府内沿革図書・北町奉行所周辺御府内沿革図書・北町奉行所周辺

江戸の市政を担当した町奉行所が、奉行の役宅として公的に置かれたのは寛永8年(1631)からです。
 奉行所は「御番所」と呼ばれ、18世紀初めに一時中番所が置かれたほかは、北御番所と南御番所のふたつが幕末まで続きました。
 位置は何度か移転していますが、19世紀以後、北御番所は呉服橋門内(現千代田区大手町1丁目7番地、JR東京駅構内日本橋口付近)、南御番所は数寄屋橋門内(現千代田区有楽町2丁目8番地、JR有楽町駅銀座口前付近)にありました。

2 市政裁判所の発足

晩年の土方久元晩年の土方久元 岩井半四郎錦絵錦絵(妾しづか 岩井紫若)

慶応4年(1868)5月15日、彰義隊を上野で破った新政府は、それまで江戸の市政を町奉行に委任していた体制を改め、同月19日、町奉行所の廃止と建物・書類等の引渡しを命じます。名称も市政裁判所と変更されました。
 町奉行所が新政府に書類等を引き渡したのは5月22日、この日南町奉行所に判事新田三郎、土方大一郎(久元)らが訪れ、与力・同心等へ従来どおり勤務するよう申し渡しました。
 翌日から北町奉行所は北市政裁判所、南町奉行所は南市政裁判所と改称されましたが、建物・人員はほぼそのまま引き継がれました。

3 東京府開庁

初代府知事烏丸光徳肖像初代府知事烏丸光徳肖像 東京府開設書表紙東京府開設書 東京府印東京府印

慶応4年(1868)7月17日、江戸を「東京」と称する詔書が出されました。それとともに市政裁判所が廃止され、東京府が置かれることになります。
 南北市政裁判所は合併し、幸橋内にあった元大和郡山藩柳澤家の上屋敷が府庁にあてられました。改装工事のため、府庁の事務は南裁判所で開始されました。正式な開庁は8月17日、全ての業務を南裁判所から府庁へ移して執務を開始したのは9月2日です。
 初代府知事には、尊王攘夷派の公家で当時江戸府知事に任じられていた烏丸光徳が任命されました。

4 大名屋敷での執務

燭台購入指示書燭台購入指示書

当時の府庁は、冠木門を構え、裁判を行う白洲や、罪人を仮収容する牢を備え、府知事の奥向き住居や役人が住まう長屋を配した町奉行所と同様の構成をとっていました。
 大名屋敷は、大きな木造建築を障子や杉戸で仕切っています。そのため、内部はかなり暗く、行政事務を行うには不便な空間でした。
 また老朽化も進み、明治27年(1894)にレンガ造り庁舎を鍛冶橋内に新築するまで、府庁の営繕掛は屋根の雨漏り修繕や明かり採りの設置、ガラス障子への入れ替え等に追われました。