都史紀要7 七分積金

はしがき

七分積金とは、町入用節減額の十分の七の積金と言う意味である。寛政三年松平定信は江戸の地主階級が負担する町費すなわち町入用を節減するため、天明五年より寛政元年まで五ケ年平均の町入用を算出させ、その額より出来る限り節約した町入用節減高を書出させて、節減を実行させ、その節減額の十分の七を備荒貯蓄のための積金並びに米穀購入費に充て、会所と籾蔵を向柳原に設立した。これが江戸の救済事業機関たる町会所であった。町会所は七分積金を取扱い、それによって備荒のための事務や市民の救済事業を行う事務所といえる。この町会所の設立によって江戸の市民が不時の災害から救われた数はおびただしいものであって、又一般貧困者も会所支給の米金によって大きな恩恵を蒙ったこと言う迄もない。江戸における社会救済事業の機関である町会所の事業が維新後の変動のため、どのように活用されるに至ったか、この金をとり扱う役所が営繕会議所より東京会議所となり、旧来の町会所の事業から一転して、営繕事業から教育事業にまであらゆる面にこの積金が利用されるように発展していった。市民の共有金という意味より、一般市民の福利事業がこの積金によって遂行されたこと及び災害のたびに米金を支給する事は救済の根本でなく、恒久救済施設の整備こそその根幹をなすものであるとの当局者の見解から、養育院、日雇会社、工作場の設立となって、当時政府及び府当局が最も悩んだ乞食浮浪者の処理対策に主役を演ずるに至った経過をのべ、この会議所によって着手された事業が、会議所廃止後東京府に引継がれてどのように運営されるに至ったか、府管理時代に至ってこの共有金はどんな方面に支出されたか等、積金が江戸より東京への変転に従って、その使用目的に於て、飛躍発展していった過程を一通り系統的にのべたのが、この小篇である。

幕府当局者が幕末維新の変転きわまりない時代にあって、幕府の財政は窮乏の極に達し、正にその大樹倒れんとする際にも、この莫大な積金米穀に一指も触れることなく、積金米穀はあくまで市民のもので救恤のための費財として保存され、維新政府に引継がれた。(たとえそれが地主階級によって積立てられた文字通り市民の金であったにせよ)ことについては、幕府の態度を賞讃するに吝かでない。しかし、結果的にこの金の運用を引つがれた維新政府は財政困難なため、あらゆる方面にこの金の助けを求めた。五年八月設立を見た営繕会議所が十月東京会議所となって、教育費十万円上納、銀座道路修築費五万円献納等の政府、東京府への直納金をはじめ道路、橋梁、水道の補修に大半の金を支出してしまい、会議所附属土地の売却を行う状態であって、養育院の経営も維持のための支出に多額の費用を要し、会議所の資金だけでは継続することが容易でなく、ガス事業にしても商法講習所にしても当時としては一歩進みすぎていたため、その維持継続は甚だ困難であって、会議所が七分積金すなわち共有金を以てこの事業を打つたものの、結局はこれらは府の直営とか民間に払下げるとかの結末を着けざるを得なかった。ただこうした金をこのように多方面に使用して、維新混乱の際の東京市民に対して大きな貢献をしたのは、渋沢栄一を中心とする先覚者の多大の努力によるものであった。その指導者であった渋沢栄一は定信の考えを明治以降の東京の上に立派に護り育てたというべきであろう。

この小篇が、今後の社会事業施設運営の上に、何等かの参考となれば幸いである。

本書の編さん執筆は川崎房五郎が担当した。

昭和三十五年一月
都政史料館

凡例

一 本篇はさきに昭和二十六年騰写印刷で刊行した七分積金始末の改訂版であるが、その後の調査によりかなり増補を行った。
一 江戸町会所に関する詳細なる史料については東京市史稿救済篇第二、三、四巻を見られたい。天保の改革に際しての町会所の改革を特筆しなかったのは、町会所積金改革の意見こそ優秀なものが出て、甲論乙駁されたものの、結局実現を見るに至らず、貸付金の返済年限の延期や救済事業としての土木工事が起されたにとどまり、改革は結局、寛政設立当初への復帰ということにおちいったため、その結果を記するにとどめたからである。
一 維新当初の社会情勢や救済事業としての農地開拓事業等は近く別に上梓される故、ここでは簡単に触れるにとどめた。
一 本篇は今後印刷に付される「救育所より養育院へ」、或は会議所事業としての「瓦斯事業」「商法講習所」、又は「墓地問題」等のすべてを含んだ概論とも言うべきものであるが、これらの各項目については詳細に亘って記述する別篇を参照されたい。
一 本篇は第三章以後殆んど引用書名を記してないが、史料は都政史料館に保存されている東京府の公文書よりの引用である。
一 明治四年十一月第一大区に設立をみた町会所については、江戸町会所の事務継承の外に、諸問屋、株仲間再編成の事務を担当、五年五月町会所廃止まで、明治初年東京商業史上に大きな役割を演じたが、この点については他日研究を発表することとして、本篇においては省略した。

七分積金 目次

序説 江戸に於ける社会事業施設(1)
救貧事業(2)
救療事業(3)
宿泊所(4)
免囚保護事業(4)

第1章 備荒貯蓄と七分積金(6)
1 天明の飢饉と松平定信(6)
天明第一回飢饉(6)
定信の襲封(7)
天明の第二回飢饉(7)
松平定信の老中就任(10)
定信の京阪巡視(10)
2 社倉と備荒貯蓄(11)
朱子社倉法(11)
幕府の囲い穀(13)
定信の備荒対策(14)
3 江戸に於ける準備対策(17)
江戸の人口(17)
岡本政苗父子と備荒策(19)
寛政異学の禁(21)
備荒貯蓄策の第一歩(21)
4 町費節減策(23)
町入用(23)
町入用取調(26)
町費の節減(29)
5 七分積金決定に至る経過(29)
町費節減高の割当(29)
積金七分の決定(30)

第2章 町会所とその活躍(35)
1 町会所設立(35)
七分積金の布告(35)
会所および籾蔵建設(38)
町会所の命名(39)
町会所積金(40)
2 町費節減の苦痛(41)
地主側の負担(41)
町費節減の不満(42)
節減の励行(44)
天保改革と町費削減(46)
3 町会所の機構と事業(46)
町会所の大要(46)
会所金貸付(49)
町会所の事務組織(49)
町会所積金事務(51)
囲い籾(52)
町会籾蔵(53)
積金及び貯殻高(57)
4 町会所の救済事業(60)
平時の救済(60)
窮民請願(61)
非常時の救済(62)
その他の救済(70)

第3章 維新後の町会所とその廃止
1 明治維新と町会所(72)
維新における江戸(72)
幕府及び総督府の財政(72)
町会所積金の支出(73)
町会所積金中止(75)
七分積金再開(78)
2 積金再開後の諸事情(81)
七分積金徴収割変更案(81)
聞小間改正(82)
一ト小間一匁六分がけ(82)
囲い穀売払後の米穀補充策(83)
町会所救済事業の継続(88)
3 救育所と工作場(89)
市中の衰微、市民の窮乏(90)
救育所の設置(90)
政府の救貧対策(91)
救育所増設(92)
授産事業(93)
救育所の維持困難(94)
4 積金配分と町会所廃止(95)
再度積金中止(95)
積金五十区配分案(97)
町会所移転(100)
県治条例の窮民一時救済規則(101)
東京銀行設立案(103)
積金再中止説への疑問(106)
町会所の廃止(107)

第4章 営繕会議所より東京会議所へ
1 営繕会議所設立(111)
町会所廃止後の処置(111)
営繕会議所の設立(113)
五年八月積金使途変更の布告(115)
2 東京会議所(119)
会議所性格の変化(119)
東京会議所設立(122)
名代人制度の提案(125)
八年六月の改正案(127)
八年十二月の改革(132)
会議所所管事務の還納(135)
3 総代人選挙と会議所解散(141)
総代人選挙(141)
総代人と会議所議員(143)
会議所解散(147)

第5章 会議所の事業(150)
1 事業の概要(150)
2 会議所としての社会救済事業(157)
救育所廃止(157)
会議所の対策(159)
3 会議所三策の実施とその後の問題(161)
工作場設置(161)
日雇会社(163)
養育院(165)
訓盲所設立問題(170)
米銭支給の廃止(172)
恤救規則の発布(172)
4 営繕事業(174)
A 道路橋梁等の修築(174)
積金の営繕関係への支出(174)
営繕に積金大半を費消(177)
道路の補修(179)
B ガスとランプ(181)
街燈の設置(181)
ガス燈及びランプ維持問題(187)
5 教育育成事業(193)
学制発布と公立学校の設立(193)
教育育成事業としての商法講習所(195)
6 墓地開拓事業(200)

第6章 会議所所管時代の財政(210)
会議所の財源(210)
明治五年六年度の収支(212)
大蔵省交付五拾万円問題(216)
会議所附属地(218)
会議所附属土地の売却(221)
小菅籾蔵跡払下げ(226)
会議所管理時代の収支(228)

第7章 東京府移管後の事業(230)
1 府管理下の積金と事業(明治九年六月より十二年六月まで)(230)
事業とその収支(230)
2 東京府時代(明治十二年以降)(232)
共有金(232)
共有金による府の事業(234)
神田橋本町の民有地買収(237)
瓦斯局売却問題(239)
洲崎弁天町の埋立、根津遊廓移転問題(243)
東京市引継ぎ迄の総決算(247)
東京市への引継(252)

第8章 月島埋立工事と東京湾澪浚(254)
東京湾澪浚い(254)
月島埋立計画(259)
工事の難航と東京市移管(260)
工事の竣成と月島築造(264)

第9章 府庁舎建設問題(268)
庁舎移転問題(268)
営繕下附金の返還要求(270)
府庁舎建設決定(274)
庁舎建設と敷地問題(280)

むすび(293)
図版 目次
松平定信肖像(巻頭)
定信願文(巻頭)
中井積善筆蹟(10-11)
向柳原籾蔵と町会所の図面(38-39)
救小屋の図(62-63)
渋沢栄一(138-139)
技師ペルグラン筆蹟(182-183)
芝浜崎町ガス局(184-185)
丸の内東京府庁舎(290-291)

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