都史紀要9 東京の女子教育

はしがき

本稿は、明治三年から二十二年までの二十年間における東京の女子教育施設成立の経過をたどることによって、明治初年の教育の姿をあきらかにしようと試みたものである。主として、明治五年以降に、東京府へ提出された開学願書や私立学校明細調などに拠ったが、それらにないものは他の教育資料や学校史を参考にした。

東京の女子教育が、もっとも活発になったのは、三十二年の高等女学校令の公布以後であったが、それは全国的なうごきであり、ぼう大な量になるので別の機会にゆずらねばならない。

本稿は、それ以前の、開拓時代とでもいうべき時期に重点をおいたので、それ以後については、わずかばかりの展望を加え、こんにちの女子教育施設との比較に資する程度の記述にとどめた。

本稿は、東京の私学を中心としたものであるが、公学にもふれ、また、できるだけ、全国的に、公私学の成立経過をとりあげ、東京の女子教育のしめた地位をあきらかにすることにつとめた。

本稿の調査・執筆は手塚竜麿が担当した。

昭和三十六年十月
都政史料館

※本書に引用した史料には個人の履歴が多く見られますが、学術研究上等、本書の利用に際しては、人権擁護面に十分留意くださるようお願いいたします。 平成四年二月 東京都公文書館

東京の女子教育 目次

序説(1)
女子教育という言葉(1)、別学施設・共学施設とその教科内容(2)
明治初年の女子教育観(5)、学制と女子教育(7)
D・マレーと女子教育(8)、キリスト教の女性観と女子教育(12)
東京と地方(15)

Ⅰ 萌芽期(明治三年-十二年)(21)
あらまし(21)、築地居留地をのぞいた女塾・女校一覧(23)
築地居留地をふくんだ官・私女塾・女校(25)
第一期(明治三年-七年)(30)
A 六番女学校(30)、芳英女塾(斉藤女学校)(31)、水交女塾(33)、
上田女学校(35)
B 六番女学校(37)、女子小学校(38)
第二期(明治八年-九年)(39)
喜田英和女学校(39)、女紅学舎(42)、跡見女学校(42)
三浦女学校(43)、河村女校(44)、中尾女学舎(45)
共義女学校(46)、原女学校(46)、新栄女学校(50)
桜井女学校(51)
第三期(明治十年-十二年)(62)
村上女学校(62)、恒徳女学校(62)、加藤女学校(64)
立教女学校(65)、女子師範予備学校(67)、同人社女学校(69)
成徳女学校(72)
おぎない(73)

Ⅱ 萎縮期(明治十三年-十七年)(76)
あらまし(76)
和洋裁縫伝習所(77)、桃夭女塾(下田学校)(79)
東洋英和女学校(88)、おぎない(101)

Ⅲ 開花期(明治十八年-二十二年)(103)
あらまし(103)
一般の女子教育施設(105)
翠松学舎(105)、成立学舎女子部(109)、東京女学館(113)
東京女子専門学校(120)、椿女学校(125)
プロテスタント系の女子教育施設(129)
普連土女学校(129)、香蘭女学校(135)、東京英和女学校(141)
桜井女学校Ⅱ(146)、駿台英和女学校(151)、頌栄女学校(155)
明治女学校(162)、女子独立学校(169)
カトリック系の女子教育施設(172)
女子仏英学校(172)、その他(177)
仏教系の女子教育施設(178)
女子文芸学舎(178)
手芸・裁縫を主とする女子教育施設(181)
共立女子職業学校(183)、女範学校(188)、女子経世学校(190)
東京裁縫女学院(191)、東京女子手芸学校(194)、その他(197)
おぎない(198)

むすび-総括と展望(199)
生徒数(199)、生徒の出身地別-東京と地方(201)、学校の格差(204)
各学校のその後(205)、二十三年以後に創立されたもの(208)
高等女学校令の出現とその余波(210)、訓令第十二号と女子教育(212)

東京の女子教育施設創業年表(明治三年-二十二年)(216)
人名索引・校名索引(巻末)
巻頭写真
築地六番館
女子留学生

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