都史紀要22 明治初年の自治体警察 番人制度

緒言

明治初年の番人制度は、1か月余実施されただけで廃止された。従って成功した制度とはいえない。しかし、成功し永続する制度の出来上がるまでには、その踏台となる幾つかの制度があるのが常で、踏台の役を勤めた制度も歴史的には重要な意義をもっており、またそれが成功しなかったゆえんを知ることは、後人にとって大いに参考となる場合が多い。番人制度もその一例である。

番人制度は、同時に創置された警保寮の制度と関連したものである。警保寮は司法省に属し、全国の警察を管掌するもので、今日の国家地方警察本部に当り、大警視を各府県に派出して管下警保のことを監督させることになっている。番人制度は、府県に設けて警保寮の指揮下に置かれたもので、いわゆる自治体警察に当る。この両警察を設けたことは、形としてはよく整っていたけれども、実効をあげるに至らないうちに改革されてしまった。

番人制度が永続されなかったのは、財政的の理由が主因となっていた。番人制度は民費で維持されたが、既に創設の当初から、区民の経済的負担力にはばまれて、予定の半分位の人員しか配備することが出来ず、整備力を十分にしようとすれば、区民が負担に耐えず、負担を適度にすれば、整備力が不十分となる始末であったからである。しかもその当時は、征韓論によって政府首脳が二分し五参議が下野した直後で、国内状勢がきわめて不穏であったから、強力な警察の必要が痛切に感じられていたのである。

番人制度の廃止を主張した川路利良の建議の中に、「所謂番人ナル者ハ卑弱ノ傭夫、之ヲ以テ輦轂ノ下ヲ鎮ズルハ体裁ヲ失スル而已ナラズ、人心安堵セズ、遂ニハ暴行暗殺等ノ患害ヲ生ズル必定ナリ」とあるのも、すなわちその状勢を反映しているのである。

しかし警保寮と番人の制度を敷いたのは、それまでの非常時的警察から平時の警察制度に移ろうとしたのであって、番人に対する川路の右の意見はやや的をはずれているといえよう。番人は民主的平和的な警察として育成されるべきであった。東京番人規則細目の第四条に、「番人ノ性質ハ、柔和ニシテ事ニ堪エルヲ持前トス。他人ノ嘲弄罵言ヲ受ルトモ洗シテ恥辱ニアラズ、職務ヲ尽スヲ肝要トスベシ」とある。この精神の下に、財政の許す範囲内で番人制度が存続され育成されなかったことは遺憾であった。

またこの番人制度廃止の内情を察して見ると、この制度は司法卿江藤新平によって設けられ、英国の制度に学ぶ所が多かったが、江藤は征韓論によって下野し、大久保利通が内務卿となり、行政警察は内務省の管轄となった。当時大久保は、岩倉具視等とともに欧米を視察して帰った直後で、特に新興のプロシャの制度に感服していた。当時警保助の川路利良も欧州の警察制度を視察して帰って、同様な考えであった。この結果が番人制度の廃止となっているのである。その後も川路が警察制度の育成に専念したので、日本の警察はこの方向に沿って発達させられたのであったが、終戦後これは改革された。改革された現在の日本の警察制度を見ると、その先駆がはるかに八十年をさかのぼって、警保寮と番人の制度の中にあったことを見出すのである。

附記とした違式違条例は、番人制度と同時に出されたもので、一般人の生活との関係が深く、その条項を見ると、その当時の世態を見ることも出来る。

この一篇は、都に保存されている『番人配置』と題する十三冊の記録を主とし、他の記録によって補った。特に断ってある以外の史料は、旧東京府の記録によったものである。


以上は昭和二十五年九月謄写版印刷の東京都史紀要第五として出した時の緒言であるが、それより前昭和二十三年七月、当時の占領軍の強制によって日本の警察制度は根底から改革され、国家地方警察と自治体警察が設けられ、人口五千人以上の都市には自治体警察が置かれることとなった。

この自治体警察はいうまでもなく米国の制度を移したものであったが、明治五年の東京の番人制度も英国の制度にならったものであり、前者は強制的に、後者は自主的に採用されたという相違はあっても、共に実情を無視した上からの押付的のものであった。

当時番人制度の何たるかは一般に知られていなかったが、形の上では民主的な好制度と思われるこの制度が、わずか一年の短期間で消えてしまっていることに、かねて不審が持たれていたが、旧東京府の記録『番人配置』によって、設置から廃止に至る経過の大概を知りその不審を解くことができた。その不審が解けるとともに、同性質の新しい自治体警察が同様の経過をたどって不成功に終るのではないかという危ぐが生じた。東京都史紀要のひとつとして『番人制度』を刊行したのは、当時の新警察制度を運営する人への警告の微意を含めたもので、「明治初年の自治体警察」と傍題したのもそのためであった。果して、番人制度がそうであったように、自治体警察も経済的に困難し、また種々の欠陥が現われて、昭和二十六年には一部改正を余儀なくされ、更に翌二十七年日本の独立が達成されて、占領軍の圧力の除かれるとともに改革の気運となり、二十九年現行警察法が施行されて自治体警察は廃止された。占領軍の強制がなければ自治体警察は生れなかったであろうが、生れたとしても番人制度と同様に一年ぐらいの短命に終ったであろう。

今後日本の警察制度がどのような方向に進むかは予言できないけれども、もし更に民主化の気運が強まるならば、昭和の自治体警察のたどった道が参考されるとともに、この番人制度不成功の経過が参考されるべきであろう。

前に附した違式違条例の外に、同じく附記として違警罪目を加えた。なほ都史紀要二『市中取締沿革』と同五『区制沿革』を併読されれば、当時の警察制度内で番人制度の占める位置が、なお明らかになろう。

本書の編さん執筆は鷹見安二郎が担当した。

昭和四十八年一月十日
東京都公文書館

明治初年の自治体警察 番人制度 目次

緒言

第一章 序説(1)
第一節 江戸時代の番人制度(1)
官設警察と民設警察 辻番の種類と数
辻番の請負制度 辻番の任務・番人数・備品
自身番 木戸番と番人 幕末の状態
第二節 明治初年の警察制度(7)
旧幕府方の江戸鎮撫 官軍の市中巡羅と彰義隊討伐
市政裁判所附兵隊 市中取締兵隊 府兵 邏卒
邏卒の司法省移管 平常時警察としての番人制度

第二章 番人規則その他の制定(12)
第一節 番人制度の調査(12)
司法省と東京府への達
東京番人規則その他の案の提出
神奈川県へ邏卒規則の提出下命
第二節 警保寮の創設(14)
警保寮と番人との関係 違式違条例と番人制度
警保寮職制及び同章程
第三節 東京番人規則(18)

第三章 番人制度実施の経過(19)
第一節 実施への準備(19)
各区戸長へ方法案の提出下命 各大区戸長の案
第二節 第一大区番人制度実施(29)
番人小頭及番人の選定 番人の巡邏立番開始
第一大区にまず実施した事情
第三節 第二大区以下への実施(34)
第二大区に実施 朱引改正と番人制度
第三・四・五・六区に実施

第四章 番人人数及び構成(38)
第一節 番人人数(38)
第一大区 第二大区 第三大区 第四大区 第六大区
第五大区 予定人数を配置できなかった事情
番人配置表 六大区各小区地域略表
官庁地区の番人配置問題 第四大区の番人増置
上野山内附近の番人増置 第一大区番人増加問題
番人番号
第二節 番人の人的構成(57)
番人選定の標準 出身身分別 年令別

第五章 番人の待遇(66)
第一節 等級(66)
一・二・三等番人 小頭・同副役・同副役心得
第二節 給料(70)
給料額 給料支給方法 内職の許可
第三節 進退賞罰(73)
進退の規定 番人進退黜陟規則及び検査表
昇級規定 任命書付 賞罰等の規定
給料差引方規定 番人過失条目

第六章 番人の任務(89)
第一節 番人勤方心得(89)
第二節 東京番人規則細目(94)
第三節 巡査番人諸心得(104)
巡査心得 小頭心得 番人休息心得
番人交代心得 番人非番心得 番人居住範囲

第七章 番人の制服及び支給物(109)
第一節 制服(109)
第二節 提灯(118)
第三節 支給物品(120)
支給物品の種類 支給物に関する規定
警棒防寒用品の支給

第八章 番人屯所(124)
第一節 場所建物(124)
場所の選定 第一大区各小区屯所
第二大区各小区屯所 屯所建物
第二節 備品(128)
備品の種類 勤怠検査名刺箱
第三節 屯所に関する規則(132)
番人詰所定則 員外番人心得

第九章 番人の経費(135)
第一節 出金方法(135)
番人規則中の規定 戸長の見込
東京会議所から借金 区情による意見の相違
暫定的出金方法 聞小間の法
第二節 経費の扱方(144)
戸長の申合 消耗品費 臨時費用の公費私費別
第三節 経費額(150)
羅紗雨着靴等代価 番人一人分費用月額
番人入費請払元帳 各区番人経費額
各区番人経費額 番人諸入費明細書

第十章 番人制度の廃止(173)
第一節 川路利良の警察制度改革建議(173)
番人制度に対する利良の意見
番人制を廃しその費を道路橋梁水道費に充てる意見
司法行政両権分立の意見 警視庁の創設
第二節 廃止の経過(175)
廃止の順序について区長の意見
番人制度廃止の内務卿達
番人退職者への手当 巡査宿料の課出方法

附記 違式違条例 違警罪目(184)
違式違の意味 東京府下違式違条例 違式違条例と警察
各地方違式違条例 東京府下各地方両違式条例条文対照表 違警罪目