史料の解読と読み下し例~明治の「言上帳」を読もう その3

(史料出典:『明治二年十二月 言上帳』)

【史料3】

言上帳 史料 3

解読文

同日
一 赤坂表伝馬町壱町目市兵衛地借蕎麦
  渡世平次郎申上候昨暮六時頃侍躰之もの
  壱人罷越蕎麦給候上壱分金札一枚
  差出釣銭勘定可致旨申聞候ニ付壱朱札
  三枚銭三百八拾八文差出候處勘定相違
  いたし候旨高声ニ申談候ニ付達而相詫候得共
  聞入不申可切殺旨申聞候間前橋兵隊
  屯所江申出候処直ニ出張相成被捕押申候
  跡ニ挑灯二手拭壱筋銭三百八拾八文
  残し有之候則持参為御訴申上候由右之
  平次郎町年寄兵四郎申来候
   右品取上已来心当有之候ハヽ可訴出旨
   申付之

読み下し文

同日
一 赤坂表伝馬町壱町目市兵衛地借り蕎麦
  渡世平次郎申し上げ候。昨暮れ六つ時頃侍躰(てい)のもの
  壱人罷越、蕎麦給(た)べ候上、壱分金札一枚
  差出、釣銭勘定致すべき旨申し聞き候につき壱朱札
  三枚銭三百八拾八文差し出し候ところ、勘定相違
  いたし候旨高声に申し談じ候につき、達て相詫び候えども
  聞き入れ申さず、切り殺すべき旨申し聞き候間、前橋兵隊
  屯所え申し出候処、ただちに出張相成り捕り押さえられ申し候
  跡に挑灯二、手拭壱筋、銭三百八拾八文
  残しこれあり候、すなわち持参、御訴えのため申し上げ候よし、右の
  平次郎町年寄兵四郎申し来り候
   右品取り上げ已来心当たりこれあり候わば訴え出ずべき旨
   これを申し付く

解釈

蕎麦屋も命がけ ― 釣銭トラブルで捕り物(明治2年12月2日の訴え)

赤坂表伝馬町一丁目(現:港区元赤坂1丁目2番地辺)の市兵衛さんの土地を借りて蕎麦屋を営んでいる平次郎さんの店に、昨日(12月1日)の午後5時頃、侍風の男が一人やってきて蕎麦を食べ、一分金札1枚を払いました。そこで平次郎さんがお釣りに一朱札3枚・銭388文出すと、勘定が間違っていると大声で怒鳴られたあげくに「切り殺すぞ」と恫喝されたので、前橋藩の兵隊屯所へ申し出ると、すぐに駆け付けて、男は捕らえられました。跡には、提灯2つ、手拭い1本、銭388文が残っていました。

平次郎さんと町年寄の兵四郎さんが届け出たところ、残った品は押収され、今後心当たりがあったら届け出るようにとのことでした。

この当時金と銭の交換比率は相場で変動していますので、本当に釣銭が間違っていたのかどうかは分かりませんが、『江戸生業物価事典』(三好一光、2002年)や『値段の明治・大正・昭和風俗史』(週刊朝日編、1981年)によると、当時の蕎麦代は16~24文だったようです。しかし、いくら混乱期で治安が悪いとはいえ、勘定が違うという理由で殺されてはたまったものではありません。その上捕り物の跡に残っていた金銭は銭388文だけ…。一朱札3枚はどうなったのでしょうか。

当時、東京の治安状態はかなり悪く、東京府の捕亡方だけでなく旧旗本・諸藩の兵隊が取締を担当していました。この記事に見られる前橋藩の兵隊屯所がどこにあったかは確定できませんが、明治2年前後の市中の取締体制の概要*は以下のとおりです。

明治元年(1868)12月、市中を47区に分けて諸藩に取締を担当させ、翌2年2月には諸藩のうちから4藩を「触頭」とし、その下に数藩ずつを所属させました。この4藩の一つが前橋藩です。芝方面を所管し、本営を金地院(現:港区芝公園3丁目5-4)に置いたほか、芝赤羽心光院(現:港区東麻布1丁目28番地辺)、麻布古川端龍源寺(現:港区三田5丁目9-23)、高輪車町願正(生)寺(現:港区高輪2丁目16-22)等に屯所が設けられました。その後、取締を担当する藩は交代しています。

さらに同年11月には市中を六大区に分け、各大区に数区ずつ属させました。各大区の範囲については明確な記録はありませんが、第二大区が現在の港区方面であり、第二大区四ノ区を前橋藩が担当しています。

* 明治初年の東京市中の取締体制については、都史紀要2「市中取締沿革」第3章をご参照ください。