東京都公報の歴史 東京市の場合

1.官報附録・警視庁東京府公報時代(明治22年5月~同27年3月)
2.官報本紙登載・東京市公文時代(明治27年4月~同30年3月)
3.新聞紙附録・東京市公文時代(明治30年4月~同33年7月)

東京市は、明治22年(1889)5月1日、市制町村制の施行により、東京府区部を区域として成立しました。しかし、市制特例という法律によって、東京市には、市長を置かず、市役所も開設せず、市長の仕事は東京府知事が行い、市役所の業務は東京府庁が代わってこれを担当するという変則的な体制で出発したのです。

東京市のほかに、こうした特例が適用された市に京都市と大阪市がありました。この3市に対しては、他の市制施行地とは別格の扱い、すなわち市制の特例として、一種変則的な大都市制度を実施したということができるでしょう。

特例時代の東京市は、独自の公報を持たず、つねに東京府の公布式に追随する時代が続きます。東京市の公文は、最初は警視庁東京府公報へ登載され、この公報がなくなると、警視庁公文、東京府公文と共に官報本紙に登載されるようになります。さらに警視庁公文と東京府公文が新聞紙の附録として発行されるようになると東京市公文もこれにならって新聞紙附録として発行されるようになりました。

東京市の指定新聞紙は、先に述べた東京府と同じです。最初は東京日日新聞と読売新聞、毎日新聞の3紙。のちに東京日日新聞をやめ、都新聞がこれに代わります。この体制は、明治33年(1900)7月まで続きました。当館が所蔵しているこの時期の東京市公文は、毎日新聞附録のものです。

4.新聞紙附録・東京市公報時代(明治33年8月~大正5年7月)

明治31年(1898)10月1日に市制特例が廃止されて、東京市が独立した自治体になったあとも、新聞紙附録の東京市公文時代はしばらく続きます。

東京市公報の発行は、明治33年(1900)8月1日からですが、このときも東京市の直接発行ではなく、国民新聞の附録として発行されました。

本市公告は国民新聞附録公報に登載するを以て公告式となし、来る明治三十三年八月一日より発行す(明治33年7月27日、東京市告示第82号)

国民新聞の附録として発行された時期は39年(1906)3月31日までで、その後は

と続きます。

5 東京市公報直営時代(大正5年7月~昭和18年6月)

東京市公報東京市公報

大正5年(1916)7月5日、東京市公告式条例(東京市条例第4号)を改め、東京市が直接公報を発行することになりました。ようやく公報直営時代が始まります。第1号は、7月8日に発行されました。

本市公告は市役所に於て発行する東京市公報に掲載するを以て公告式とす(大正5年7月5日、東京市条例第4号)

ここで、新聞紙附録時代を含めた東京市公報の号数を見てみましょう。

大正改元のときと、大正5年7月、公報を市直営で発行したときの二度号数を改めています。もちろんこの中には号外の数は含みません。