東京都公報の歴史 東京都の場合

1.警視庁公報、東京都公報並立時代(昭和18年7月~同21年3月)

昭和18年(1943)7月1日、東京都制が施行され、それまでの東京府と東京市を廃して、東京府の区域に東京都が設置されました。

この時成立した東京都は、国の地方行政機関であると同時に、市町村と同じ基礎的自治団体であったという点で、広域的普通地方公共団体である現在の東京都とその性格を大きく異にしています。首長も、住民の直接選挙で選ばれる今日の都知事とちがって、都長官といい、官吏が任命されました。

どうしてこのようなことになったのかについての詳しい説明ははぶきますが、明治20年代以来半世紀近くにわたって揉めに揉めたわが国の首都制度問題の一応の到達点が、この基礎的自治団体である東京都が、その一面で、国の地方行政機関として官選の首長を戴いて国に直結するという首都制度、すなわち東京都制であったのだということができるでしょう。

東京都が基礎的自治団体であったために、旧来の東京市の区はもちろんのこと、多摩島嶼地域の市町村が、法律上、基礎的自治団体としての性格を失い、東京都の単なる下級組織になってしまいました。この状態は地方自治法が施行されるまで続きます。今日ともすれば忘れられがちなことですが、こういう時代があったということは、歴史の重要な一こまとして記憶にとどめておくべきことでしょう。

ところで、東京都の成立によって、公布式はどのようになったでしょうか。

注目すべきは、東京都の成立とともに、警視庁は別に警視庁公報を発行し、また東京都も独自に東京都公報を発行しはじめたということです。この公報の並立時代は、昭和21年(1946)4月1日、東京都警視庁公報が発行されるようになるまで続きます。

警視庁

警視庁公報警視庁公報
昭和十八年七月一日より警視庁公報を発行し、警視庁令は同日より右公報に登載するを以て公布式と定む(昭和18年6月29日、警視庁令第12号)
警視庁訓令乙号は、昭和十八年七月一日より警視庁公報に登載す(同日、訓令乙第1号)
警視庁告示、警視庁告諭は昭和十八年七月一日より警視庁公報に登載す(同日、警視庁告示第1号)

東京都

東京都公報東京都公報
東京都令及東京都告示は東京都公報に登載するを以て公布式とす(昭和18年7月1日)
東京都条例は東京都公報に登載するを以て公告式とす(同日、東京都条例第1号の第2条)
東京都規則は東京都公報に登載するを以て公告式とす(同日、東京都規則第1号の第2条)

各公報の号数を以下に掲げておきましょう。

警視庁公報

  1. 昭和18年7月1日には号外を発行している。
  2. 年毎に号数を改めている。
  3. 昭和20、21両年は欠号のため不明

東京都公報

昭和18年7月1日(第1号)~昭和21年3月30日(第401号)

2.東京都警視庁公報時代(昭和21年4月~同23年3月)

昭和21年(1946)4月1日、それまでの警視庁公報と東京都公報を共に廃して、東京都警視庁公報が発行されました。

東京都警視庁公報東京都警視庁公報

昭和22年(1947)5月3日には地方自治法が施行され、東京都は大きな変化にみまわれます。東京都制によって設置された東京都が廃止され、地方自治法に基づく広域的普通地方公共団体としての東京都に生まれ変わったのです。首長である都長官も、前年9月の東京都制一部改正以来公選制となっていましたが、地方自治法施行と同時にその名称も都知事と改められました。

また、昭和23年(1948)3月7日には、警察法が施行され、それまで内務大臣の直轄で国の機関であった警視庁と警視総監が廃止になり、あらたに自治体警察の一つとして、特別区連合の警察として警視庁と、その警察長である警視総監が設置されました(昭和23年3月7日施行、東京都条例第22号)。

内務大臣直轄の警視庁が廃止されたのにともない、東京都警視庁公報の名称は、東京都公報に変更されます。

東京都警視庁公報時代の号数は、以下のとおりです。号外を含みません。

昭和21年4月1日(第1号)~同23年3月6日(第290号)

3.東京都公報時代(昭和23年3月~)

内務大臣の直轄であったそれまでの警視庁が、昭和23年(1948)3月6日で廃止になったので、公報の名称も東京都公報に改称されたことは、前に述べました。

これ以後の警視庁は、名称は同じでも、特別区が連合して設置する自治体警察としての時代が続きます。この後、昭和29年(1954)に警察法が改正され、都道府県警察が成立しますが、以後の説明は省略します。

東京都公報の号数は、以下のとおりです。

名称変更と同時に号数を改めますが、1か月足らずで、4月1日からはまた前の東京都警視庁公報時代の号数を継承して301号に戻しています。