都史紀要17 東京の各種学校

はしがき

本稿は、主として明治期において開設された東京の各種学校のうち、比較的高度の教科を与えておりながら、のちに専門学校令や大学令の適用をうけて昇格しなかったり、または、いくたの業績を残しながら、それらの学校令の公布以前に廃学されたりしたもののうちから特色ある数校をえらび、開設当初の願書その他の公文書を収録して、その実態をあきらかにしようと試みたものである。 したがって、中、小学校でいどのものや予備校、和洋裁、割烹、簿記、その他看護、助産、保育などの部門はのぞいた。主として、美術、外国語関係のものに限定したのは、わが国の文化史上に及ぼした影響を重視したからである。現存していないものを多くとりあげたのもその故である。

本稿では、明治期だけでなく、大正期になってから開学されたものからも数校をえらんだ。外国語関係一校のほか、新教育を提唱したもの二校をえらんだ。いずれも現存する。そればかりでなく、現存するものは、大学、短期大学が、ちまたに氾濫しているこんにちにおいて、いぜんとして各種学校の名にあまんじ、しかも大学の水準以上の教科をあたえている。学校体系の底辺に位置づけられながら、あえて昇格を夢みることなく、明治・大正期において、各種学校が示した反骨精神を、こんにちの時点になおつらぬきつづけている。

本稿の編さん・執筆は、すべて手塚竜麿が担当した。

昭和四十二年十二月
都政史料館

※本書に引用した史料には個人の履歴が多く見られますが、学術研究上等、本書の利用に際しては、人権擁護面に十分留意くださるようお願いいたします。 平成四年三月 東京都公文書館

東京の各種学校 目次

はじめに(1)
各種学校という用語(1)、明治期の法令にみる各種学校(1)、統計書と各種学校(2)
慶応義塾のばあい(6)、各種学校の特質(7)

美術を中心とする各種学校(10)
国立の美術学校(10)、洋画私塾の成立(12)、高橋由一の天絵学舎(13)
五十号布達による開申(16)、高橋由一の業績(19)、本多錦吉郎と彰技堂(25)
藤田文蔵の彫刻専門美術学校(28)、原田直次郎の鐘美館(33)
明治期に開学したおもな美術学校(38)、川端画学校(40)、川端画学校規則(44)

外国語を中心とする各種学校(51)
明治初期の洋学私塾(51)
ドイツ語(52)
独逸専門学校(52)、その他(57)
フランス語(58)
中江篤助と仏学塾(59)、仏学塾の仏人教師(64)、その後の仏学私校(66)
マリア会の教育事業(66)、アテネ・フランセの開設(70)、その添付書類(74)
アテネ・フランセの学則(77)、アテネ・フランセの評価(82)
ロシア語(84)
ニコライの履歴書(84)、神学校の開校願(86)、ロシア語学者瀬沼恪三郎の履歴書(94)
その後の改正(94)、正教神学校とロシア語・ロシア文学(97)、女子神学校の設立開申(98)
瀬沼夏葉の業績(99)、露西亜語学校(100)、小西増太郎と日・露の文化交流(105)
女子神学校と児玉きく(107)
英語(108)
国民英学会(108)、正科の学課表(111)、英語師範科の新設(118)
英語商業科の新設(123)、国民英学会に学んだ人たち(124)
正則英語学校ができるまで(127)、正則英語学校(129)
斎藤秀三郎・その他の教員の履歴書(140)、F・W・イーストレイクの履歴書(145)
英学会・正則その後の消長(146)、正則英語学校に学んだ人たち(147)、桜井女塾(148)
桜井女塾の沿革(153)、欧文正鵠学館(155)、欧文正鵠学館規則(157)
設立者とその他の教師(164)、サンマー学校(161)、サマーズ一家のこと(168)
リリー・サマーズ(169)
総合外国語(171)
私立外国語学校(171)、第一外国語学校(172)
第一外国語学校学則(174)、設立者となった人たち(182)
校長村井知至の英学遍歴(189)、第一外語のその後(190)

新しい教育理想をかかげた各種学校(192)
文化学院の創設(193)、文化学院規則と創設者西村伊作の履歴(195)
文化学院に教えた人びと(202)、文化学院設立趣意書(204)
上級学科増設願書と生徒定員変更願(207)、本科及び美術科学則(211)
与謝野晶子の教育観(217)、文化学院に学んだ人たち(218)
自由学園の創設(219)、羽仁吉一・もと子夫妻(230)、その後の自由学園(232)

むすび(233)
人名索引(巻末)
巻頭写真