都史紀要28 元禄の町

はしがき

中央区京橋一、二、三丁目の表通りに面した部分は、昭和六年まで京橋区南伝馬町一、二、三丁目と称した。ここに江戸の伝馬役所がおかれていたからで、浅草橋へぬける道筋の大伝馬町に対し、南伝馬町といわれたのである。代々新右衛門を名乗る高野家は、家康入国とともに江戸伝馬役を命ぜられ、南伝馬町の町割り後、南伝馬町二丁目の名主役をも勤め、幕府瓦解までその職を全うした。

高野家第一〇代新右衛門直孝の編さんした「撰要永久録」は都市江戸の基礎的史料としてその評価は高い。直孝は、「明暦以来の記録数千冊文庫に有るを繰返し見」て、「撰要永久録」を編さんしたと書き記している。江戸は火災の多い町であった。高野家も例外ではなく、再三類焼の難に遭遇したが、こうした名主クラスの土蔵の防火措置は万全であったのであろう、土蔵内部の史料は安全であった。しかし、幕府瓦解とともに伝馬役・名主高野家はその地位を失ない、史料は実生活上無用のものとなり、その後の社会的変動と相待ってその大半は失われてしまった。現在、高野新右衛門家文書として確認出来るのは、東京都公文書館が所蔵する「撰要永久録」と、ここに紹介する史料一〇数点のみである。その大半の史料が散逸した現在、直孝が「撰要永久録」を編さんした意義は大きい。

本稿は、東京都公文書館に所蔵されている高野家文書の紹介を中心に、江戸伝馬役・名主役の役割を、主として町とのかかわりにおいてまとめたものである。表題は、「日記言上之控」所収年代に焦点をあて、『元禄の町』とした。それは、史料の内容が、一七世紀後半の町を多面的に解明することを可能にしたからである。また、元禄時代が、都市江戸の歴史の上で、一つの転換点として注目されており、この時代を解明することが江戸研究の上で意義あることと考えたからでもある。

近年、都市江戸の研究は著しい進展をみている。江戸市制についても、幸田成友氏の業績や後藤新平『江戸の自治制』を発展させる研究が発表されている。しかし、庶民の立場から、江戸市制をみようとする場合、解明すべき点は多々ある。高野家文書の紹介が、こうした研究の前進に貢献し得れば幸いである。

南伝馬町を対象とした研究には、松崎欣一「江戸両伝馬町の成立過程及び機能について」(『慶應義塾志木高校研究紀要』第一輯)、「江戸両伝馬町の道中伝馬役運営」(『史学』第四十二巻)、「江戸伝馬町の鞍判制度」(『史学』第四十三巻)、吉田伸之「江戸南伝馬町二丁目他三町の町制機構と住民」(論集『きんせい』二号)、「役と町」(『歴史学研究』四七一号)、がある。参照させていただいた。また、ここに紹介する史料の一部は、すでに吉原健一郎『江戸の町役人』(吉川弘文館)によって紹介されている。

増上寺花岳院御住職吉水秀岳師御夫妻には、過去帳の閲覧、墓地の御案内等お世話になった。直雅とその夫人の墓は小さなものであったが、風雪を経たその墓石によって、高野家の存在を改めて実感することが出来たのである。

史料を少しでも多く紹介するため、「撰要永久録」についてはその多くを省略し、注で記した。『東京市史稿』既刊分を御利用いただきたい。注では繁雑さをさけるため、『東京市史稿』、「撰要永久録」についてはその編別のみを記した。本稿の調査執筆は片倉比佐子が担当した。

昭和五六年三月
東京都公文書館

元禄の町 目次

はしがき

Ⅰ 高野新右衛門家文書について(1)
1 撰要永久録(1)
撰要永久録の編者、戦前の調査
2 その他の文書(6)
家譜、日記、諸証文・連判帳、その他

Ⅱ 高野家と町(11)
1 高野家の人々(11)
創設期の人々、四代直重、直重時代の土地所有
直孝の時代、直孝、その後の高野家
2 伝馬役(29)
伝馬役の職務、伝馬助成、大人馬
町人の役負担、伝馬役の運営、三俣築立と伝馬役
赤坂伝馬町、町の自立化
3 町名主役(60)
町の起立と名主、名主の職務、町と役負担
公役改正、国役町の役負担

Ⅲ 元禄の町(76)
1 町の実相(76)
土地所有と人口、宝永の沽券絵図、町の生業
2 言上帳の世界(91)
欠落・取逃、無宿、浪人、家主、犯罪、名主訴願

Ⅳ 史料(104)
1 家譜下書(104)
2 諸事証文目録帳(抄)(119)
3 連判帳之入目録・証文入目録・赤坂連判帳之入目録(抄)(146)
4 日記言上之控(宝永三年)(165)

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