史料解説~障子を開けるか? 閉めるか? ~江戸城の秋

儀式準備マニュアル

ここに挙げた史料「八月十五日ヨリ十二月晦日マテ」(請求番号:新見―196)は、江戸城本丸御殿における儀式の準備について書かれたマニュアルの一部です。この史料は、主に寛政年間に小十人頭や目付を勤めた長門守正登と、天保年間に目付や側衆を勤めた伊賀守正路の新見親子の記録からなる『新見文書』に収められています。

史料には作成年の記述はありませんが、史料題名にあるとおり、とある年の八月十五日から十二月大晦日までの間(年始の儀式も含まれる。ただし、この日付は旧暦。)に本丸御殿で行われた儀式や行事の準備内容が日付順に記されています。

また、江戸城で行われる儀式の際は先例を重んじましたので、先例として、享和三年(一八〇三)・文化元年(一八〇四)・同二年(一八〇五)・同五年(一八〇八)・同十二年(一八一五)・同十三年(一八一六)・弘化元年(一八四三)の事例も添え書きされています。

江戸城内における儀式マニュアルは大名家を初めとして様々なところに伝来しています。しかし、本史料は儀式そのもののマニュアルではなく、儀式にあたっての建物の中の設(しつら)え方や、秋から冬への季節の移り替わりの中での室温調整法が書いてあるのが特徴の1つです。室温調整は、建具(襖・障子)の開閉や火鉢などで行われました。

八月十五日 ~江戸城の秋雨対策

旧暦八月十五日は新暦でいうと十月中旬。秋から冬に向けて秋雨シーズンとなり、夏の暑さから一転して涼しい日々が続くようになります。将軍は、本丸御殿の表向(ここでは白書院)で行われる儀式の際、住居部分(奥向(おくむき))から山吹之間細廊下を通り表向へ出ました。

とある年の八月十五日、この日は月次御礼における将軍の出御にあたって白書院と山吹之間細廊下の障子を開いておくか、閉じておくか決めなくてはなりませんでした。江戸城内での事柄は、先例に沿って決めるのが決まりでした。この障子の開け閉めについても、まず文化五年の先例が調べられています[文化五辰年八月十五日伺左之通]。

文化五年八月十五日(新暦:十月四日)、この日は秋雨の降る寒い日だったようです。そこで、この山吹之間細廊下と白書院に、寒さを凌ぐための障子を建てるかどうか、将軍の身の回りの世話をする御側衆に伺いが出されました。この伺いの際、さらに享和三年八月十五日(新暦:九月三十日)の例を出しています。これによると、享和三年の際は秋雨で寒かったので障子は全て立てていたとあります。

御殿の室内は壁と襖・障子などの建具で仕切られていました。現在のようにエアコンなどの空調機器のない時代、これらの建具を立てたり外したりして室内の温度調節を行いました。

結果、享和三年と文化五年の例を受けて、御側衆から「今までの通りで良い」との回答がありました。

この史料には追加情報として、文化十三年閏八月十五日(新暦:十月六日)も挙げられています。文化時十三年の場合も雨が降って寒い日だったようですが、この際は将軍が着座する白書院上段の挟障子は開かず、それ以外の部屋の障子は明けていた[例年之通不残明ケ置相済候事]ようです。

八月晦日 冬支度に向けて

九月に入ると江戸城内では冬に向けての準備が始まります。冬支度は九月朔日から始まりましたが、このことは御側衆から月番頭衆へ「書取(書面)」と口頭とで伝えられました。また、大目付衆・目付衆へも伝えられました。

九月朔日、毎年、秋から冬にかけての障子の取扱方の指示が出されます。九月朔日の項の前には、[御白書院御向并西御縁入御之節山吹之間細廊下御障子明置申候]と書かれていて、将軍が白書院ならびに白書院西側の縁へ入る際、山吹之間細廊下の障子は開けておくように、とあります。

九月二日 ~重陽之御祝準備

九月九日、江戸城内では五節句の一つである重陽之御祝が行われました。本史料によると、御祝の準備は既に八月晦日から始まっていることが読み取れます。八月晦日には御祝が行われる大広間の二之間・三之間・実検之間の畳の上に敷く薄縁敷の取扱い方について指示が出され、また、九月朔日の項目には、御祝に際し定刻通りに登城するようにと書かれています。

今回取り上げた文書は、江戸城内で行われた秋から冬にかけての儀礼準備に関するものです。先述のように、江戸城内での儀礼は、先例を重視しましました。このため、大名家でも旗本でも、自分が関わる儀式については、他家から先例を借りて書き写し、実際の儀式に臨みました。また儀式後に書き加えられることもありました。これらの文書類は、一代限りのものではなく、代々、その「家」で引き継がれ、管理されていきました。

目付など要職を務めることが多かった新見家には、こうした江戸城内での儀式マニュアルが沢山残されています。

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